Point of noreturn の日記

日々の出来事や感じたこと書いてます。

うまいラーメン屋

お題「らーめんあまり関係ない雑記。」

中の良い友人と久しぶりに飲んだ。

飲んだ帰りに友人が
「 うまいラーメン屋知ってるから食べに行こう、もちろんおごるから。 」
と言ってきた。

「 いく 」
と即答。
この友人、親友なのだが結構なグルメで今まで美味しい店を何軒もつれてってもらっている。
はずれはめったにない。今回も結構期待、大。

友人が言うにはそこは種類もたくさんあるとか。
わくわくしながら後をついて行った。

途中?、通りがかりのセブンイレブンに友人が入って行った。
私は外でまっていると中で友人が手招きしている。
なんだ?と思いながら中へ入り友人のところへ行くと
「 ここ 」 と一言。
「 は? 」 
「 うまいラーメンやだよ 」

コンビニのラーメン売り場だ。
「 食べたいラーメン食べたいだけ食べていいよ! 」
とほざいてる。

呆れた。
よくもこういうくだらないこと考え付くもんだ。
友人は酒も入って超上機嫌だ。

これがうまいんだよ~~~!とか言いながらあーだこーだごたくをならべている。
私は呆れながらラーメンを選んだ。

あまりにも呆れたので100個ぐらい買って酔いをさましてやろうと思ったがあまりに機嫌がいいのでやめた。
この親友、こういったくだらないことを考えさせるとたぶん右に出るものがいない。

私はラーメンを選んで友人に渡した。
友人はレジで会計を済ませるとここで食って行こうと言った。

レジの横のポットでお湯を入れた。
?奴はどんなラーメンを買ったんだ?と思い奴を見た。

見てびっくり!
見た瞬間私は 

「 そばじゃん!!なんで蕎麦買ってんだよー!!!

何がうまいラーメン屋だよ!あのごたくは何だったんだーーー!

落ちはそれかよ!!!! 」

そう言ったら友人は珍しく申し訳なさそうに
「 ちょっと蕎麦が食べちゃくなっちゃって・・・・・ごめん。 」

ちなみに、私が買ったのは自分の中の定番、カップヌードルの赤で

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友人は、緑のたぬき デカ盛りだった。

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しかし、本当のところ私は

ぺヤングソース焼きそばが食べたかった。

 

沖縄からの電話

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iphoneの振動で目が覚めた。

私は基本常にマナーモードにしているので着信音を聞くことはほとんどない。

眠い目をこすりながら見てみると

登録されていない番号からの電話だった。

普通ならまず出ない。

でも時間は23時を回っている。

間違い電話ならいいが、時間が時間だけに出てみた。

それは懐かしい沖縄の人からの電話だった。

その人に通話口で自分の名前を呼ばれた瞬間、目が覚めた。と同時に

15年以上前のことが鮮明に思い起こされた。

 

ちょうど梅雨が明けたころだっただろうか、

空港に着くと知人というか前の会社の後輩が迎えに来てくれていた。

用があって沖縄へ行かなければならなかった。

その用とは、ある予算の消化の為に行かなければならない事業のようなことだった。

決して悪い気はしない。

沖縄旅行ができるのだから。

でも出るのは交通費と宿代だけ。

滞在は1週間。その間の食費等は自腹だ。

まいいか、そう思いながら沖縄へ向かった。

その直前に以前の会社の後輩に連絡をしていた。

迎えに来てくれとは言ってない。

ただ、行くから時間があったら会おうか、とだけ伝えてあった。

そうしたら彼は迎えに来てくれていた。

嬉しかった。

 

「元気そうで何より」

そういうと、懐かしい笑顔を見せてくれた

最後に会ってから何年か経っていた。

話したいことはたくさんあったが

でも、こうやって再開できたことでなんだか満足だった。

後輩も忙しい。仕事の合間を縫って迎えに来てくれた。

なのですぐに泊まるホテルに送ってもらい別れた。

「10日くらいは居るから時間が空いてるとき一杯やろう」

そういって別れた。

場所は糸満市だ。

海の近くのホテルだった。

たしか、西崎運動公園近くだったような気がするが定かではない。

本当はいろいろやらなければならないこともたくさんあった。

でも散歩の途中、あの碧い海を見た瞬間に気持ちは決まった。

思い切り遊んでやる!

半ば決心みたいなものだったような気がする。

こんなとこに来て仕事なんてやってられるか!

遊ばなかったら、ばちが当たる。

そう思えるほど沖縄は綺麗だった。

即効でコンビニに向かい、ガイドブックを買ってきた。

るるぶだったかな?

どこへ行こう?ずいぶん迷った。

いろいろありすぎて良くわからない。

考えてるうちに夜になったのでとりあえず飲みに行くことにした。

糸満は初めてではなかったが飲みに行くのは初めてだった。

だから店はわからない。とりあえずどこかに入ろうと思った。

一番最初に目についたバーに入った。

ショットバーのような店だった。

カウンターと小さなテーブルが二つある小さなバー。

 

その人は玉城さんといった。

一目惚れだった。

本当に美しい女性だった。

これぞ、まさに、ちゅらさん

そこの店のオーナー、経営者だ。

もちろん一人で店を切り盛りしている。

当時の私より5歳くらい上だっただろうか。

この辺は観光地ではないので本土の人間はほとんど来ない。

本土という言葉自体沖縄に行かなければ聞くことはない。

ちょっと話しただけで、

「本土の人でしょう」

と言われた。

まあ、当たり前だ。

話し方やイントネーションはまるで違う。

こっちも別に隠すつもりもない。

ジャックダニエルを頼んだ。

いつもこれを、水割りグラスにロックで頼む。

そして水は自分で入れるそれがいつもの自分の飲み方だ。

彼女の表情やしぐさ、話し方、何もかもが美しかった。

ただ、話をできるだけで幸せな気分になれる、そんな女性だった。

 

世の中は狭いもので、私の後輩もこの店に来ているとのこと。

話せば話すほど話は尽きなかった。

 

 

その晩は飲みすぎるくらいに呑んだ。

気が付けば閉店時間。

客はもう私一人しかいない。

まだなんか、なんでもいいから彼女と話がしたかったが

我慢して帰った。

でも結局その後、この店には毎日通っていた。

次の日の朝、後輩がホテルに来た。

嬉しいことに、これ使ってくださいと原付をおいて行ってくれた。

これで行動範囲が広がる。

さっそく、原付に乗って海へ向かった。

「いいところだよなー」

心底思った。

夜になるとまた昨日のショットバーへ行った。

他愛もない話をしながら酒を飲む。

それだけでよかった。

笑顔はまた一段と綺麗だ。

ただ、何も下心はなかった。

というか、まさに高嶺の花だった。

次の日、朝早くに目が覚めた。

コーヒーを飲みながらガイドブックを見始めた。

どうしよう?どこに行こうか?

そうだ、とりあえず最北端へ行ってみよう。

そう思った。辺戸岬だ。

そこで思いついたのは原付で沖縄一周してみようと考え付いた。

実は原付に乗ったのはこの沖縄へ来た時が初めてだった。

なので、当時の私にとっては結構な冒険だ。

さっそく出発。

準備なんてない。財布だけ持つとすぐ出かけた。

朝7時くらいだっただろうか。

市内の大通りを通るのは怖かった。

ちょうど通勤ラッシュの時間だ。

しかもこの原付、最高速度はどう頑張っても50キロしかでない。

通学の原付女子高生が邪魔そうに抜いていく。

抜かれるたびに

「すまない」

と心の中で言った。

このラッシュ時にとろとろ走られるのはいい迷惑だろうな。

そう思いながらおそるおそる原チャを走らせた。

市内を抜けて海が見えたときは感動だった。

心が洗われるとはまさにこのことか。

風がまた、最高に気持ちが良かった。

ハワイだ!まさにハワイだ。

ハワイには行ったことがないが。

ハワイもきっとこんな感じなんだろうと思った。

本当に美しい景色だった。

ちょうどこのころ、沖縄サミットが開催されたため。

東海岸側は整備されていると聞いていた。

途中、綺麗な場所があると止まって

その景色を楽しんだ。

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ちょっと先に、ものすごくきれいなビーチが見えた。

近くに行ってみようと思ったがそこは、ホテルのプライベートビーチだった。

策があって入れない。

基本は宿泊客しか入れない。

出入り口に、若い看守が立っていた。

男女が二人。20代前半。

ちょっとでいいからビーチを見たい、と伝えると

嫌な顔せずに

「黙っててくださいね」

と中へ入れてくれた。

美しいビーチだった。

58号ひた走っていた。

のんびりしすぎたせいか、

本部や今帰仁の方へ行く時間はないと判断しそのまま58号で突っ切った。

残念だった。

途中、時間を見計らって後輩に電話した。

原付で一周する話をしたら、あきれ果てていた。

でもいろいろとアドバイスをくれた。

迷ったら、人に聞くこと。沖縄の人は「あっちー」と指をさして教えてくれます。

とのことだ。

何度も寄り道したせいで着いたのは14時くらいになっていた。

それに、想像以上に疲れていた。

今からまた帰るのか、そう思うとちょっと元気がなくなる。

帰りは西回りで帰った。

こっち側はびっくりするぐらい何もなかった。

途中、「ヤンバルクイナ 飛び出し注意」と書かれた標識があったりする。

これには、驚いた。

そして坂が結構多い。

でも西側はこれぞ、冒険!という感じだった。

心細くなるくらい、人や車とすれ違うことはなかった。

当時のガラケー、地図やナビなどない。

迷ったらどうしよう?と思える程、何もない。

糸満に着いたのはもう夕方だった。

糸満より南はまた明日にしようと思い

いつもの店へ向かった。

その日は後輩も来ていた。

かなりの常連客と知り合いになった。

その日のことを話したら、みんなかなりあきれていた。

でも、この原付の旅は本当に楽しかった。

またやりたいと今でも思っている。

それに原付はすごく便利だ。

首里城公園の守礼の門などは、本当に目の前まで原付で行ける。

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食べ物もずいぶんいろいろ食べたが

一番印象に残っているのは

やはりゴーヤだ。

バーで、玉城さんが作って来て食べさせてくれたことがあった。

煮物みたいな感じだった。

「これが一番苦く食べる調理法なの」

と言ってた。

食べた瞬間、一瞬、ぎゅっっと身が縮んだ気がした。

それぐらい苦かった。

ちょっと経験がない、衝撃的な苦さだった。

私が食べているのを見て、みんな笑っていた。

苦さが体や表情から溢れていたらしい。

 

それと、ヤギ汁。

これは強烈だった。

バーで知り合った人が美味しいと評判の店へ連れて行ってくれた。

店に入った瞬間、ちょっと後悔した。

食べるのが大変だった。飲み込むのに苦労した。

体が拒否しているのが解る。

味は我慢できるのだが、こめかみや喉元、目の奥の血管が脈打っているのが解る。

体が受け付けないという経験はこれが初めてだった気がする。

 

あっという間に時間が過ぎて行った。

毎日本当に楽しかった。

朝起きると暗くなるまであちこちと行き回った。

そして夜はいつもの店で、なじみになった人たちと飲む。

ちょっと不安になるくらい毎日が楽しい。

ふと、社会復帰できなくなるのでは?と思ったくらいだ。

そして、最終日前日が来た。

その日は知り合いになった人たちが食事をご馳走してくれるとのことで

夕方からみんなで夕食を食べに行った。

酒も入ってかなり遅くまで。

気が付けば、いつも行っていた玉城さんの店が閉店の時間だ。

私はみんなにお礼を言って急いで店へ向かった。

明かりが消えていた。

無念、最後にもう一目、もう一度会いたかった。

そう思ったら、彼女が店のカギを閉めて出てくるところだった。

私は今までのお礼だけでも言いたいと思いそばへ駆け寄った。

挨拶しようとしたら、彼女はなぜか機嫌が悪かった。

「今日はもう来ないと思ってました。」

なんか冷たい。

雰囲気も悪い。

どうしようと思ってたら、玉城さんはとんでもないことを言い出した。

「今から、私の家へ来ませんか?」

と。

えー!!

明らかに、ちょっとうろたえてしまった。

彼女は独身で一人で住んでいるのは知っていた。

全く想像もしていなかった展開。

さらに、どうしようと考え込んだ。

おろおろしてたらタクシーが来た。

行きましょう、と言われ結局タクシーに乗ってしまった。

でも、家に着いた時にはいつもの優しい玉城さんに戻っていた。

なんか、独身女性の家へ入るのは罪悪感のようなものがあったが

やさしい彼女を見たら、まあいいかと思った。

そして、言われるままに、彼女の家へお邪魔した。

二人で飲んだ。

だいぶ飲んだ。

毎日会っていたが話すことは全く尽きなかった。

玉城さんは聡明な人だった。

個展を開いたり、本を執筆したりもしていた。

そして博識だった。特に地域経済には精通しているようだった。

本当にいろんなことを教えてくれた。

あっという間に時間がたった。

もう朝になろうとしている。

話が途切れた時に

「そろそろ帰ります」

と言ったらその瞬間に空気が変わった気がした。

しばし無言。おそらく1分もなかったと思うが永遠の時間に感じるほど長かった。

そして玉城さんは

「そう」

と一言だけ言った。

ただ、別人のように冷たい感じがした。

なんかもう眼を見ることができなかった。

とにかく滞在中のお礼を言わなければ、そう思い

私は感謝の気持ちを伝えた。

なんてお礼を言ったのか覚えていない。

玉城さんがなんて言い返したのかも覚えていない。

私は平常心ではなかったし、何よりもどうしていいかわからなかった。

とにかく帰ろうと玄関先に向かった。

靴を履いているときに

「元気でね、また連絡くださいよ」

そういわれたのだけを覚えている。

私は頭を下げ家を後にした。

なにか、思い切り後ろ髪をひかれるような気がした。

 

結局その後私は玉城さんに連絡することはなかった。

沖縄にもそれ以来行ってない。

そして、15年以上の月日が経っていた。

 

今、電話の向こうに玉城さんがいた。

懐かしい。ただ懐かしい。

名前を呼ばれたときは本当にうれしかった。

独特の発音、特徴のある話し方。何もかもが好きだった。

あの時のことを次から次へと思いだした。

そう、私は玉城さんのことが好きで好きで

会いたくて会いたくて毎日店へ通っていたっけ。

彼女はいつも優しく笑顔で迎えてくれてた。

あの時の自分は何を考えて玉城さんに会っていたんだろう?

今となっては思い出すすべもない。

ああ、素直じゃなかった。

自分の気持ちは怖くて全く伝えることはなかった。

いや、そんなんじゃなかったのかもしれない。

まあ、もうどうでもいい。

ただ懐かしかった。

「元気ですか?」

と言われ

「おかげさまで」

と答えた。

いろいろ話したかったが言葉が出てこない。

玉城さんは変わりなくやっているという。

ただ、どうして電話してきたのかを聞いてみた。

私はこの15年で2度ほど番号を変えていた。

一度は無くし、もう一度は捨てた。笑

だから、番号を知っているわけはなかった。

理由は、埼玉の私の知人が沖縄の私の後輩と今、店に来ているという。

それで、私の話が出て電話番号を聞いてかけたとのことだった。

なるほどと思った。

先日、知人が沖縄旅行へ行くから何かお勧めを教えてくれと言ってきた。

私は、

「俺に聞くな、ガイドブック買え」

と言ったのを思い出した。

その時、沖縄にいる後輩の連絡先を教え、後輩にも一応連絡を入れといた。

で、二人で玉城さんの店へ飲みに行ったらしい。

いい気なものだ。

最後に玉城さんに聞こうかどうかさんざん迷ったことがあった。

結婚はされましたか?と。でももう私には関係ないことだった。

だから

「また、沖縄へ行きますよ。会いに行きます。」

と言って電話を切った。

ベッドに入って寝ようとした。

すると、胸のなかで止まった時計のような何かが

動き出そうとする気がした。

私は手を添えてそれを止めた。

 

思い出は思い出のままでいい。

時間が立ちすぎていた。

 

梅雨明けが待ち遠しい。

夏のすがすがしい風が待ち遠しい。

 

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ヤフオクでポーチを買った。

この季節になるとIphoneのplusはかなり邪魔になる。

ズボンのポケットには大きすぎるからだ。

エストバッグでは大きすぎて必要ない。

そこで、思いついたのはポーチだった。

別にポーチでなくても良かった。

ベルトに着けるタイプでiphoneと財布が入ればいい。

店に行って300円で手ごろなのを見つけた。

しかしこのポーチは2日で壊れた。

やっぱり、安いのはだめか。

そう思って考えたのはユーズドでもいいから

ちょっと、丈夫なものを買おう、そう思いヤフオクへ。

コーチのポーチがいい、そう思って探した。

なぜなら、コーチは丈夫なことで意外に有名だからだ。

それに、結構新品もリーズナブル。

ユーズドならさらにお得。

そんな気がした。

いざ探すと、結構な数が出品されていた。

そして、いいのが見つかった。

ベルトがついたタイプでシグネチャーだ。

ベルトのサイズが94センチ。

これなら、男でも大丈夫だろうしこんな大きいサイズは誰も入札しないだろう。

そう思い入札した。

価格は1600円でかなり安い。

ヤフオクでの相場は5000円前後のようだった。

時間は1日あった。

次の日オークション終了5分前に、アラートが鳴った。

私より高値がつけられた。

うそー!こんなサイズ買おうとする人いるのか?

と思ったが、考えてみれば

誰かが買ったからオークションに出品されているんだよな。

と思い直して。さらに高値で入札。

するとまた、越された。

それを3回繰り返して2200円になった。

3000円ぐらいまでかな、と思っていたがそのまま落札。

相手に、そんなに欲しくないなら入札するなよ、と言いたかったが

まあ、いい買い物した。

送料込でも3000円しなかった。

今のヤフオクはずいぶん便利になった。

アプリなら本当に簡単に取引できる。

簡単決済を登録しておけばすぐに支払いも完了し

送り先なども何も入力することなく取引が終わる。

便利になったものだ。

後は待つだけだ。

そして、届いた。

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想像以上にすごくきれいでうれしくなった。

本物かどうかは定かではないが大手の中古ブランドショップの

出品だったのであからさまに偽物は出すまい。

そう信じた。

サイズもiphone7Plusにぴったり。

財布を入れてちょうどいい。

なんか、いい買い物をした。

満足だった。

ただ、ちょっと思うのは

やっぱり、レディースだよな~?

 

ルーマニア

お題「もう一度行きたい場所は?」

暑い日だった。

何年前だろう?

オトペニ空港に着いたのは昼過ぎくらいだった。

ブカレストの国際空港の名前がまだオトペニと言われていたころだ。

今はアンリコアンダ国際空港と改名されている。

空港に着くと迎えの人が待っていてくれた。

空港から車で40分くらいだったろうか

スナゴフ(Snagov)と言う町に着いた。

大きな湖のほとりの宿舎だった。

憂鬱だった。

来たくて来たわけではない。

仕事だ。業務命令というやつか。

滞在期間は二ヶ月弱くらいだったと思う。

この先の生活を思うと気が重かった。

3食の食事は二ヶ月間ほぼ同じ。

それでもこの辺ではかなりいい食事だと言われた。

朝はパンとハムと卵と牛乳。

この朝食は問題ない、というかむしろ贅沢だ。

コーヒーはない。

昼は靴底のような豚肉とポテトとスープ。

夜は昼と同じ。

これがほぼ毎日続いた。

でも、私自身は食事に関しては不満はなかった。

確かに飽きるが、普通に美味しかったからだ。

ただ、一緒に行った他の日本人は辟易としているようだった。

チャウセスク政権が崩壊して5年くらいたったころだったろうか。

とにかく物がなかった。食べ物だけでなくいろいろな物資がなかった。

50年近くの人生の中で、これほど長い期間同じもを食べた記憶はこのときだけだ。

先が思いやられると思っていたが

生活を始めて2,3日くらいで友人ができた。

その出会いが、ここでの生活を本当に楽しい生活に変えてくれた。

やはり、どこにでも似たようなやつはいるものだ。

名はロバートと言った。

私より3っつくらい年下だが

はじめてあった時は、完全に見下されていた。

「ヘイ!日本人、どうかしたか?」

と言って近づいてきた。

今思えば、彼なりに舐められないように虚勢を張っていたようだ。

ロバートとはなぜか、異常なほど仲がよくなった。

もちろん、変な関係ではない。

彼とは仕事が終わると、毎晩飲んだ。

宿から1キロくらい離れた雑貨屋で飲んだ。

と言うのは近くに飲み屋などなかったし

その店が1番近い店だった。

6畳くらいの狭い店だが生活に必要なものはほとんどそろっている感じだった。

もちろん、酒も売っている。

彼はいつも、ひまわりの種をつまみに飲んでいた。

当時、こっちの人はよく、ひまわりの種を食べていたように記憶している。

と言うのも、バス停や駅にひまわりの種の殻が、よく落ちていたからだ。

毎晩、いろんな話をした。

当時、二人ともまだ20代だ。

将来の夢などを語り合った記憶もある。

と言っても私は英語がほとんどできないので、

辞書や、電子辞書、身振り手振りで一生懸命会話した。

もちろん言い争いのような喧嘩もした。

でも、辞書とかを使いながらなのでかなりタイムラグがある喧嘩だった。

それがまた、楽しかった。

彼は、日本のことをよく聞いてきた。

ヨーロッパはいろいろいったことがあるらしかったが

アジアのほうへは行ったことがなかったから

日本への興味はすごくあった。


ロバートは、毎週土曜の夜はディスコへ連れて行ってくれた。

しかし、私は夜間の外出や外泊は禁じられていたのでばれないように

出て行かなければならない。

夜、10時を過ぎたくらいに窓に小石が当たる。

それが合図だ。

ロバートは下で待っている。

私の部屋は2階だったので、窓から出て屋根伝いに下に下りる。

音を立てないようにそっと。

毎回ひやひやする。

後に聞いた話だが、一緒に行った人は毎週末、

私が宿を抜け出し夜遊びに行っていることは知っていたらしい。笑

ディスコは湖の対岸にある。

陸路で行ったらかなりの距離だ。

なので彼は毎回、手漕ぎボートをどこからか調達してきてくれた。

真っ暗な湖の上を対岸の明かりを頼りに漕いで行く。

はじめは結構これだけでもスリルがあった。

今思えば、トムソーヤーの冒険を地でやってたようなものだ、しかも26,7にもなって。

ディスコは楽しかった。

ワインボトルを片手に、朝まで狂ったように踊った。

地元の人にとっても、毎週末に開催されるディスコは

唯一の娯楽らしく、大勢の人でにぎわっていた。

がんがん飲んで、踊って、よく話した。

これが週の唯一の楽しみでもあった。

 

ある日曜の昼ごろ、ロバートが私の部屋を訪ねてきた。

寝起きの顔だ。

例のごとく前日のディスコの疲れを引きずっているようだ。

ドアを開けて

「ヘイ!マイフレンド!」

と言ってくる、いつものパターン。

このころ、ロバートは私のことを名前ではなく

マイフレンドと呼ぶようになっていた。笑

「今日は何をする?」

と聞いたら

ブカレストへ行こう」

と言ってきた。

断る理由もない。

準備もない。

ビーサンにTシャツ短パン。

すぐに二人でバス停へ向かった。

すると目の前でバスが出発してしまった。

あ!と私はちょっと驚いたがロバートはまったく動じていない。

時刻表を見ると1時間に一本しかない。

「お前、地元なんだから時間ぐらい見とけよ~」

と言ったら彼は

ヒッチハイクで行けばいいのさ」

と余裕たっぷりだ。

 その余裕の通り、すぐに車はつかまった。

家族づれのワゴン車だ。

が、しかし、ブカレストの数キロ手前でエンジントラブルで停車。

家族と一緒に近くのスタンドまで車を押すことに。

真夏、道の途中にある気温を表す電光掲示板は

36度を示している。

汗ダクダクでスタンドまでたどり着いた。

家族がお礼を言っている。

「気にしないで」

と精一杯笑顔を作って答えた。

ちょっと引きつっていたかな。笑

さすがロバート、次は車をすぐに捕まえて来た。

でも、ブカレストに着いた時のはなんか疲れていた。

街は、なんて言っていいのか?

混沌としていた。そんな感じだ。

まだまだ、政情が不安定なころだ。

でも、人々は逞しく生きていた。

そして、笑顔があった。

いろいろ見て回りたかったが、疲れたのと

空腹で何か食べようと言う事になった。

外出先での食事が唯一違うものが食べれる機会だ。

私のいた宿は、基本は土日はもちろん、週7日三食付いている、凄く良心的な宿だった。

考えてみると代表的なルーマニア料理は

結構たべていた。

ミティティ、サルマーレ、ママリガなど。

で、散々迷った挙句入った店は

マックだった。笑

なんか落ち着くんだよな〜、とか言いながら。

日本にいる時はマックなんて年に数回なんだが、

海外に行くとつい何故か行ってしまう。

結局マックでダラダラと話し込んでしまい街を見る時間がなくなった。

仕方なく帰る事に。帰りはのんびりバスで帰った。

来た時は気の遠くなるような二ヶ月間と思っていたが、何だかんだしてるうちに時間は過ぎて言った。

ルーマニア滞在も残すところあと一週間くらい。

そのころになると、私はなんだかどんどん元気になって行った。

やはり帰国が近づくとなんだがいてもたってもいられない、そんな感じだった。

必然的にロバートに話すことも日本に帰ったら、

と言うような話が増えて行った。

帰国数日に迫ったある夜、いつものように、

ロバートといつもの雑貨屋へ飲みに行った時のこと、私はまたいつものごとく日本に帰ったら、

と言うような話を始めた。

するとロバートが、

「日本に帰れるのが、そんなに嬉しいか?」

と聞いてきた。

もちろん、と言おうとして、

ロバートの表情を見たとき、言葉を飲み込んだ。

悲しそうな顔で彼は続けた。

「お前に会えてから、本当に楽しい日々だった、でも帰ってしまえば、また今迄のただの日常にもどるだけだ。」

それ以上は何も語らなかった。

私はそれ以降、帰国の日まで日本に帰る話はやめた。

そして、精一杯二人で時間の許す限り、いろんなことを楽しんだ。思えば、悪さもずいぶんしたかな。

そして帰国の日が来た。

フライトの都合上、宿を出発するのが早朝6時くらいだった。

朝早かったが、宿の人は総出で見送りに来てくれた。

私は、ロバートは来てくれないものだと思っていた。

でも彼はいた。

しかし、私とは目を合わせてくれなかった。

最後まで。

私は、宿の人達一人一人に一通り別れの挨拶を済ませ、最後にロバートの前で彼に言った。

「ありがとう。またな。また会おう。」

そう言って強く彼を抱きしめた。

するとロバートも私を力強く抱きしめてくれた。

嬉しかった。

私は迎えに来た車へ向かって歩き出した。

そこからは一度も振り返らなかった。

振り返れなかった。

車に着く数メートルの距離の間に

涙がぼろぼろとこぼれ落ちていた。

泣き顔など恥ずかしくて見せられっこない。

あのころは、そう思っていた。

ああ!こんなに悲しい思いをするなら

友達なんかになるんじゃなかった。

本気でそう思った瞬間もあった。

でもきっとそんなんじゃない。

一緒に過ごした時間は何ものにも変えがたい、そして、かけがえのない思い出。


実はその後二回くらいまたルーマニアに行く機会があり、当然だか、ロバートとはまた狂ったように遊び歩いた。

しかし、その後10年以上は全く連絡も取れていない。

私は幾度かの引越しや震災などで、

昔のものはほとんど失ってしまった。

連絡先などもその中の一つだ。


機会があればやはりもう一度

ルーマニアに行って見たい。

そして、また、奴に会いたい。


「ヘイ!マイフレンド!」

早口でロバートが私を呼ぶイントネーションや発音は、

今でも、全く色褪せることなく私の記憶の中にある。

 

 

 

 

一週間ぶりの鵠沼海岸

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鵠沼から見る江ノ島が好きだ。

ここの雰囲気はいつきても独特だ。

海岸線がこんなに栄えているところは

日本ではおそらくここが一番だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グラン=プラス

お題「もう一度行きたい場所は?」

くたくたに疲れていた記憶だけがある。

今からおよそ20年以上も前のこと。

私はハンガリー人の知人とベルギーのザベンテム空港に着いたところだった。

帰国前日にブリュッセルで一泊の旅程だった。

なぜ、ブリュッセルで一泊しなければならなかったのか?

何処からの帰国だったのかは、今は覚えていない。

ただ、異常な程の疲労感があった記憶がある。

宿までは、一緒にいた知人の友人が迎えに来てくれると言う。

なんでもその友人はハンガリーの駐ベルギー大使館の職員だという。

へ〜、すごい人が迎えに来てくれるんだな、と思いながら駐車場で待っていた。

程なくその友人とやらがあらわれた。

はっきりとは覚えてないが、乗って来た車は

ベンツのS600だった気がする。

まさか、こんな車に乗る機会があるとは、

と思って迎えに来た知人の友人を見てさらに驚いた。

一瞬、映画のワンシーンを見ている気がした。

真っ黒のスーツに黒のサングラス。

180センチはあろうか?

何より驚きは、ブルースウイルに似ている!

そして、無精髭。

「絶対うそだ!大使館職員なんて絶対にうそだ!」

と見た瞬間に心の中で叫んだ。

私が唖然としている前でハンガリー人の知人は

そのブルースウイル似の大使館職員と再会を懐かしがっていた。

本当に嬉しそうだった。

どう考えてもマフィアか何かのようないでたち。

私はちょっと怖くてまともに挨拶も出来なかった。

が、ランチをご馳走すると言って来た。

断りたいけど断れるはずもない。

仕方なく着いて行った。

どんなレストランで何を食べたかは覚えてないが

ビールを飲んだ記憶がある。

驚いたのはそのブルースウイルも飲んでいた事だ。

「お前!またこれから運転するし、それから仕事だろ?しかも大使館職員なんだろ!?」

と心の中で叫んだ。

でもこっちで昼に一杯くらいは大したことではないらしかった。

まあ、飲んでしまえばどうでもいい。

しかし、このたった一杯が効いた。

自分で言うのもなんだが、私は酒が強かった。

ウィスキーなら一晩でボトル二本は頑張れば開けられるくらいだ。

でも、相当疲れていたのか、たった一杯のビールでグデングデンに近いくらい酔ってしまった。

そのまま宿に送ってもらい、彼に

別れを告げた。

丁寧にお礼を言って、最後に

「髭はそれよ」

と言いたかったが結局言えなかった。

酔いが相当酷かったが、なんとかチェックインを済ませて部屋へ向かいたどり着いた。

ドアを開け中に入り鍵を閉めたら

そのままベッドに倒れ込んだ。

そのまま爆睡。

どれくらい寝たのだろうか。

ノックの音で目が覚めた。

ドアを開けると知人がいた。

彼はお洒落だ。

紫色のスーツにグリーンのシャツを来ていた。

こんな格好、日本人がやったらホストだ。

私は首のあたりがよれよれになったトレーナーと

いつも履いているチノパン。

「夕食を食べに行こう」

彼が言った。

私は眠い目をこすりながら頷いた。

 

ちょっと小高い場所から、ブリュッセル市内を眺めていた。

夕暮れ時の町並みは、なんか幻想的でもあった。

ベルギーは初めてだった。

旅行で来ていたわけではないので、特にわくわくもしない。

狭い路地を抜けて街へ降りて行った。

その時、視界がぱっと開けた。

その瞬間、目を疑うような光景が目の前に広がっていた。

素晴らしかった。

ただただ、素晴らしくそして美しいと思った。

その時は、ここがどこかは解らなかった。

後で解ったのだが、

そこは、グラン=プラスで世界遺産にも登録されている

世界で最も美しいといわれている広場だった。

いつもこんな感じだ。

旅行ではないので何もその国のことは調べないで来ていた。

今思えば、本当にもったいないことだった。

業務命令とはいえせっかく海外行くならそれなりに調べるべきだった。

でもあのころは、そんなゆとりもなかったか。

ガイドブックなるものを買ったのは初めて海外に行った時だけだった。

地球の歩き方。だった気がする。

それ以降はただ言われるがままに歩き回っていただけだ。

その頃、22、3、だっただろうか。

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疲労もあってか、もうずっとここにいてもいいと思った。

一緒にいた友人は何度か来ているらしかった。

ちょっとすると

「食事をする店を探そう」

と言い出した。

そんな気になれない。

私は友人に

「悪いが、今日は時間が許す限りここにいたい」

と言って食事を断った。

友人は笑顔で

「OK」

というと、どこかへ向かって行った。

私は、すぐそばにあるカフェに腰を下ろした。

ビールではなかった。コーヒーの気分だ。

酔いで、この景色をぼやけさせるのはもったいなかった。

コーヒーを飲みながら、広場をゆっくり眺めた。

飽きることはない。

どんどん、暗くなっていく。

ぽつぽつと電燈が灯されていく。

夜景もまた素晴らしかった。

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そして、一杯だけビールを飲んだ。

旨かった。

昨日までの喧騒をちょっと忘れた。

ほろ酔いも手伝ってか、気分も良かった。

そろそろ帰らないと、と思いながら

重い腰を上げた。

来た道を、宿に向かって歩き出した。

ここを、背にして歩くのはもったいない気がした。

何度も振り返りながら歩いた。

宿に向かう途中、ものすごく腹が減っていることに気が付いた。

見渡せば、住宅街だ。

しまったな、と思いながらも少し店を探してみた。

すると、目の前に中華料理店が現れた、そんな気がした。

もちろん、在ったのだが。現れたような気がした。

というのは、真っ白な店だったからだ。

およそ、中華料理店とは思えない佇まいだった。

中も白で統一されていた。

なんか、スイーツでも売っているような店だ。

ここで、ちょっと不思議な体験をした。

中に入ると、気の良さそうな店主らしき人が迎えてくれた。

席に着くと、定番の青島(チンタオ)ビールを注文した。

海外の中華料理店には結構おいてある店がおおい。

もちろん、普通においしい。

メニューを見たが、何が書いてあるのかよくわからない。

英語はほとんどできない。

いつも知人が通訳してくれている。

でも、今は一人だ。

こういう時は、たいがいゼスチャーで何とかなる。

麺類でも頼もうかと思っていると店主が来て、

「今日はもう店は閉めたから、好きなもの食べていいよ」

と言ってきた。

連れられていくと、料理が並べられていた。

ここはビュフェスタイルのようだった。

迷っていると、店主が

「これも美味しい。これも美味しい」

とたくさんの料理を取ってくれた。

促されるままに食べ始めると

たしかに美味しい!

酒もうまい!

幸せな気分だった。

いつの間にか、店主の子がそばに来て同じテーブルに座っていた。

眼鏡をかけた小学生3,4年せいだろうか。

なぜか、この子が異常に私になついた。

気が付いた時には私の膝の上で、一緒に本を読んだりしていたほどだった。

店主との話も弾んだ。

他愛もない話だが、中国へ行った時などの話をして盛り上がった。

気分がよかった。

が不安もあった。かなり飲んで食べた。

いったい、いくらになるんだ?

まあ、気にしても仕方ない。

私は大いに楽しんだ。

昨日までの嫌なことなど全く忘れていた。

でも、さすがに帰らなければならない。

私は、お礼を言って支払いをお願いした。

その時だった。信じられない言葉が店主の口から出た。

「今日は私のおごりです。また、明日から頑張ってね」と。

え!?

私はそんな訳にはいかないと、お金を払わせてくれと頼んだが

聞き入れてくれるわけもなかった。

そして、

「またどこかほかの国へ行ったら中華料理食べてね」

といった。

すごくうれしかったが、なんか複雑な気持ち。

それだけではなく、何か包みをお土産だといって持たせてくれた。

中にはハムが入っていた。

もう、なんて言って良いのかわからなかった。

人の温かさに触れた気がした。

どこの国の出身、何人なんて関係ないのかな。

きっと、楽しい気持ちや幸せな気持ちはみんな同じなのかもしれない。

そう思った瞬間だった。

私は、店主に深くお礼を言って、店主とちびっ子に別れを告げ

店を後にした。

実はこういったことは初めてではなかった。

私は海外に行って、呑み屋や食堂のようなところで

初めて会った人に、おごってもらうことが良くあった。

よほど貧乏に見えるのか?それとも物欲しそうにしてるのかな?

などと思うことがあった。

明日フライト、あさってには日本か。

日本に帰ることを考えると心が安らぐ。

やっと、帰れる。

そんなことを考えながら宿へ向かって歩いた。

 

それから、数年後幸運にももう一度ブリュッセルに行く機会があった。

その時は自分より10以上も年下の女性何人かと一緒だった。

当然のごとく、グランプラスに行ってみた。

ただ、残念なことにあの中華料理店にはたどり着くことができなかった。

時間が立ちすぎていた。

そして、一緒に来た女性たちがグランプラスを初めて見たときの反応は?

特に何も感じていないようだった。笑

それを見た私は

「お前ら!ここを見て何とも思わないのか?この美しさを見て心が動かないのか?」

なーんて下衆なことは言うわけはない。

人がどう思おうかなんて関係ない。

自分の価値観を人に押し付けるなんて悲しいことだ。

そう思って生きてきていた。

だから、私が初めて見たときから虜になったこの場所の美しさを

何とも感じない人がいても全然不思議もない。

むしろその逆だ。

だからこそ、人は面白い!

心底そう思った。

ガールズトークに花が咲いていた。

それを聞くことは無しに、私はコーヒーを飲みながら

またこの場所を見ることができた幸せをゆっくり感じていた。

やっぱり、機会があれば

もう一度行きたい場所だ。

 

 

 

 

日高屋で夕食

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レモンサワーと、中華風見味付けメンマ。

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炒飯大盛。

美味かった。

ご馳走様でした。